2003-03-20 第156回国会 参議院 総務委員会 第5号
小泉さんは米百俵の話されるけれども、やっぱりそれで清国側の分析は、やっぱり二十万という、科挙の合格者が二十万人ぐらいでしょう。日本は普通教育を受けているのは当時もう四千万ぐらいおったわけですから、この教育の差で我が国は負けたんだと分析しているわけですよね。
小泉さんは米百俵の話されるけれども、やっぱりそれで清国側の分析は、やっぱり二十万という、科挙の合格者が二十万人ぐらいでしょう。日本は普通教育を受けているのは当時もう四千万ぐらいおったわけですから、この教育の差で我が国は負けたんだと分析しているわけですよね。
このころに至りまして清国側も琉球に対する要求というものはしなくなったというふうに承知しております。 今回の中国側の主張の背景にそこまでの歴史的なものがあったのかどうか、その辺は承知しておりませんけれども、直接には、先ほどアジア局長が御答弁申し上げたとおりであううと思います。
日本側代表が水野という弁理公使、清国側代表は李經方という代表ですね、この人がいろいろやり合っておるんですよ、台湾の付属諸島の問題で。このとき、全部は長いから大事なところをちょっと読んでみます。他日日本政府が——これは水野弁理公使が言っているんです。他日日本政府が福建近傍の島嶼までも台湾所属島嶼なりと主張するがごときことは決してこれなしと言っておるんですよ。
これに対して外務卿の井上馨が、まず一つは、島嶼が清国福建省境に近いということ、二番目に、叢爾たる小島であること、三番目に、清国側に日本が台湾付近の清国領を占領した等の風評がある、そのような理由で、国標の建設と島嶼の開拓は他日に譲るほうがいいのだ、こういうことを言って、同年の十二月に、内務卿から知事あてに国標の建設の必要はないということを指示したはずであります。
その島々に対して異議があったと、こういうのならば清国側でも問題を提起し、それが馬関条約に含まれるということだったと思うのですが、異議のない状態だと、こういう状態だから触れるわけがない。その辺は楢崎さんが何か疑問を差しはさまれるようなお話でございますが、むしろ疑問じゃなくて、わが国の領有権を肯定するという材料にこそなれ、疑問を差しはさむ、そういう材料にはならない、こういうふうな見解でございます。
たとえば日清戦争についてみますと、これは明治二十八年の三月二十日に日本側が伊藤、陸奥全権、相手の清国側が李鴻章全権で、この第一回会見が下関、で行われたのです。三月三十日に休戦条約が締結せられております。続いて四月十七日には日清講和条約及び付属書が調印されておるのであります。わずかに一カ月足らずの期間であります。