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4件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1972-03-21 第68回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号

日本側代表水野という弁理公使清国側代表李經方という代表ですね、この人がいろいろやり合っておるんですよ、台湾付属諸島の問題で。このとき、全部は長いから大事なところをちょっと読んでみます。他日日本政府が——これは水野弁理公使が言っているんです。他日日本政府福建近傍島嶼までも台湾所属島嶼なりと主張するがごときことは決してこれなしと言っておるんですよ。

楢崎弥之助

1972-03-21 第68回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号

これに対して外務卿井上馨が、まず一つは、島嶼清国福建省境に近いということ、二番目に、叢爾たる小島であること、三番目に、清国側日本台湾付近清国領を占領した等の風評がある、そのような理由で、国標建設島嶼の開拓は他日に譲るほうがいいのだ、こういうことを言って、同年の十二月に、内務卿から知事あて国標建設の必要はないということを指示したはずであります。

楢崎弥之助

1972-03-21 第68回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号

その島々に対して異議があったと、こういうのならば清国側でも問題を提起し、それが馬関条約に含まれるということだったと思うのですが、異議のない状態だと、こういう状態だから触れるわけがない。その辺は楢崎さんが何か疑問を差しはさまれるようなお話でございますが、むしろ疑問じゃなくて、わが国の領有権を肯定するという材料にこそなれ、疑問を差しはさむ、そういう材料にはならない、こういうふうな見解でございます。

福田赳夫

1956-02-29 第24回国会 参議院 予算委員会 第9号

たとえば日清戦争についてみますと、これは明治二十八年の三月二十日に日本側が伊藤、陸奥全権、相手の清国側李鴻章全権で、この第一回会見が下関、で行われたのです。三月三十日に休戦条約が締結せられております。続いて四月十七日には日清講和条約及び付属書が調印されておるのであります。わずかに一カ月足らずの期間であります。

羽生三七

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